『かあちゃん』 重松清

夫が交通事故を起こし、同僚を殺してしまう。
いじめっこの圧力に負けて、友達をいじめてしまう。
取返しのつかない過ちを、
人がどのように償えるか。

絶対的な正解がない問いかけなので、
いろいろな意見があると思います。

自動車事故の加害者側になった「かあちゃん」は、
自らが楽しむこと、笑うことを禁じてしまいます。

長い期間にわたって償い続けますが、
疑問に思ったのは、
そもそも事故を起こした「とうちゃん」には罪があるか、いうこと。

対向車がはみ出てきて、
よけようとしたんですよね?

ドライバーとして、他にどうすればよかったんでしょう…。

不可抗力とも言える事故を「かあちゃん」が背負って、
その息子も背負わされて。

この場合、一生かけて背負うのは分かります。
ただ、背負い方がちょっと違うんじゃないでしょうか。
なぜ自分だけ背負うとするのか。

でも、この「かあちゃん」はそういう理屈抜きで、
償わなければいけないと考えたんでしょうね。
その償い続ける姿勢は確かにズンときました。

もうひとつのストーリーがいじめにまつわるもの。

この自動車事故で亡くなった同僚のお孫さん(中学生)が、
友達をいじめてしまい、
自殺未遂にまで追い込んでしまった罪の意識で、
学校に行けなくなってしまいます。

この中学生が、償い続ける「かあちゃん」に影響を受け、
強くなって学校に戻ってくるところ(特にいじめっ子と対峙するところ)は、いいですね。

納得いかなかったのは、
このいじめっ子が最終的に、
なんかいいヤツみたいになっているところ。

しかも、いじめられっ子の片思いの相手は、
このいじめっ子を好きという…。

頭の悪いいじめっ子が読んだら、
「なんかオレも救われるかも」
と勘違いしてしまいますよ。

うーん。。。

ハッピーな終わり方じゃなくてよかったんじゃないでしょうか。

『海の深さを知らない者は』 桐生典子

桐生作品は2作目。

前回の『金色の雨がふる』が予想外に面白く、
他にどんな小説を書かかれているのか、
もっと好きになれそうか、を確認してみたい気が少ししたのです。

正確に少々難がある20代の女性(琶子)が、
ある日いきなり失踪してしまう。
しかも、その女性の母親が刺殺死体となって、実家で発見される。
恋人(修介)のもとに携帯メールが届くが、謎だらけ。
実は彼女は事件当日の記憶をなくし、言葉を発することができなくなっていた―。

母親を殺したのが誰か、
読み進めてもなかなか明かされないので、
謎解き要素もあるミステリーとしても楽しめます。

ただ、ミステリーとしては、
ちょっと強引な印象を受けるところもありました。

岩根崎邸で働く家政婦が、老人ホームのサエさまとつながっており、
家政婦の代役として潜り込めるところとか。

ミステリーファンだけに、
こういう設定上の細かいところは気になってしまうんです。
すみません。

これは、たぶん、親子の、特に母と娘の物語なんでしょうね。
親と子の関わりにフォーカスして読むといいんでしょうね。

僕もこどもができたので、
親と子、両方の立場で見られるので、
親子テーマは興味深かったです。

よその家庭を見ると、
「うちよりうまくやってそう」と思えても、
当人同士には他人から見たらわからない、
うらみつらみも結構あるんだろうな、と。

この小説ではドアーズの曲や『FRY ME TO THE MOON』が登場します。
音楽にうとい僕ですが、小説に出てくるとどんな曲なのか知りたくなります。
この後、YOU TUBEで検索してみるつもりです。

『金色の雨がふる』 桐生典子

桐野夏生の本が好きでして。
書棚の「き」の列に、桐野、桐野、桐野、桐野、桐生とあったもんだから、
間違えて取っちゃったんですよね。

桐野夏生のドロドロっとした小説を読みたかったんですが、
こんな本との出会いもありかも、と読み始めました。

明治の足尾銅山と現代の東京。
対照的な2つの舞台で物語が進んでいきます。

最後はこの2つの世界がつながるわけなんですが、
そこに至るまでのストーリー展開にグイグイと引き込まれました。

DV彼氏やら、母親の愛情に飢えている少年やら、粋な炭鉱夫やら、
登場人物の性格も際立っています。

この炭鉱夫、映像化するならキャスティングイメージは長谷川博己かな…。
芸者アヤは中谷美紀で。

というのも、読んでいるときから村上もとかの『JIN-仁-』を思い出して、
頭の中の映像が、ドラマとダブってしまうんです。

そういう意味では『JIN』の世界観が好きな人は、
この小説も楽しめるかもしれませんね。